きょうは第93回アカデミー賞授賞式が開催されました。
最後の最後に世紀の大どんでん返しがありましたね。授賞式の演出を手がけたスティーブン・ソダーバーグ監督は、昨年亡くなったチャドウィック・ボーズマンの受賞を確信して、例年なら最後に発表される監督賞・作品賞と主演女優賞・男優賞の順番を入れ替え、哀悼と敬意をこめて終わる流れにしたと思うのですが。
受賞は『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスでした。
どんな映画よりも筋書きが読めないのがオスカーの授賞式なのかもしれません。
…それはそれとして。
思いつきで、2020年に日本公開された映画のプログラムのナンバーワンを発表します。
なにしろ公開作品をすべて観ていないので、候補作を選んだ時点で大きな偏りのある、あくまで私的なものではあるのですが。
「映画プログラム大賞」の評価基準
評価については、以下の6項目をチェックした上で、総合的に判断しました。
- 世界観:以下のすべての要件において、作品のコンセプトを表す編集が行われていること。
- 判型・仕様・紙質・加工・印刷:冊子のハード面に関する評価。
●読みやすさ、持ち運びやすさ、保存性の高さなどの機能性と手触り、質感など感情面への配慮のバランスが考慮されているか。
●判型・紙など適切なものが選ばれ、加工・印刷などが効果的に施されているか。 - レイアウト・デザイン:冊子のビジュアル設計に対する評価。
●ページネーション、フォント、色彩計画などが適切か。
●映画の世界観にふさわしい創意工夫が行われているか。 - 写真・イラスト:画像関係の宣材素材としての評価。
●パンフレット独自のロゴ・画像・図版などについても、この項目で評価する。
●扱い方(デザイン・レイアウト)については前項の(2)で評価する。 - コンテンツ(記事):掲載記事の企画・編集、寄稿原稿を含むすべてのテキストに対する評価。
- コストパフォーマンス:内容と価格のバランスに対する評価。
●パンフレットの平均価格は1冊700円〜1,000円程度。安ければいいわけではなく、内容にみあった価格であること。
※なお、映画そのものの出来不出来、好き嫌いはプログラムの評価にはいっさい反映しないものとする。
昨今、「デザイン思考」なんて言葉が流行ってますが、そもそも「デザイン(design)」の語源は、ラテン語で「計画を記号に表す」という意味の「デジナーレ(designare)」。根底に「記号化する」という思考法がこめられている言葉なんですね。
デザインって、好き嫌いのような主観や感性で決まると考えている人が多いのですが、「じつはロジックなんだよ」と言われるのは、このあたりに理由がありそうです。
かといって、わたし自身はデザインをロジックの積み重ねだけでできているとは思っていません。
コンペがわかりやすいですが、優秀なデザイナーが同じテーマでデザインを競っても、同じ作品はできません。デザイナー一人ひとりの経験や知識や得意なスキルなどの差によって違ったものができる。その差をつきつめていくと、「感性」に集約されるのではと考えています。
勝手に決める「映画プログラム大賞」候補作
ということを前提として、2020年度のトップ5はこちらです(順序は、邦題のアイウエオ順)。
予告編もリンクしていますので、表紙デザインなどから映画の世界観をどう表現しているか、参照してみてください。
TENET/テネット
44ページ(カラー:32ページ、2色:12ページ)/表紙:マットPP/250×250mm/平綴/819円+税
発行承認:ワーナー・ブラザース映画 編集・発行:松竹株式会社事業推進部 編集:岩田康平 デザイン:垣花誠、志氣慶二郎 印刷:成旺印刷株式会社
内容:イントロダクション/ストーリー/登場人物/ミッション/登場人物プロフィールとキャストインタビュー/クリストファー・ノーラン監督プロフィールとインタビュー/逆行の物理的解説(図・テキスト:山崎詩郎)/レビュー(テキスト:山崎貴、大森望)/キーワード解説/クリストファー・ノーラン全作品解説(テキスト:稲垣貴俊)/IMAX撮影解説(テキスト:尾﨑一男)/音楽解説(テキスト:宇野維正)/プロダクションノート/スタッフ・プロフィール/クレジット
ふだんプログラムを買わない人でも、映画を観てから「これは必要!」とサイフを開くタイプの映画が『TENET/テネット』だと思う。
時系列がよくわからないし、登場人物の関係性もわからない。じつはプログラムを読んでも完全に理解するのは難しいのだけれど、疑問はかなり整理される。完全に理解できないのは、簡単に理解できるように映画が作られていないからで、プログラムのせいではない。
デザインも作品の世界観を大切にしている。表紙と裏表紙は、同じ写真の天地を逆転させたビジュアルで、作品のキーワードである「回文」を視覚的に表現。
クリストファー・ノーラン監督作品には熱狂的なファンが多く、この作品もリピーターが続出。ファンが特典映像目当てにDVD、BRも購入することを前提にプログラムが制作されたと思う。表紙は本体とは別に厚紙のうえ、マットPPで加工されていて、耐久性、保存性が高い。何度も繰り返し読まれることを考慮してのことだろう。
記事も読み応えがあり、タイムラインの解説は物理が苦手な人なら、映画同様、一読では理解が難しい。悪い意味ではなく、それだけ緻密に書かれている(ただし、ノーラン監督は必ずしも物理の法則に従った演出はしていないらしい)。
冊子としては豪華本の部類だが、読み物中心のページは2色、写真中心のページはカラーで可読性を向上させつつ、コストのバランスをとっている。これで1冊1,000円を切るとは。
▶︎TENET/テネット公式サイト
82年生まれ、キム・ジヨン
52ページ(カラー:32ページ、2色:20ページ)/A5変形 148×228mm/平綴/819円+税
発行承認:株式会社クロックワークス 編集・発行:松竹株式会社事業推進部 編集:宮部さくや デザイン:長井雅子 印刷:株式会社久栄社
イントロダクション/ストーリー/レビュー(テキスト:山内マリコ)/キャストコメント&プロフィール/キム・ドヨン監督コメント&プロフィール/キーワード解説(テキスト:佐藤結)/コラム(テキスト:斎藤真理子、門間貴志)/プロダクションノート/クレジット
ノートパッド風の仕様は、原作小説が精神科医のカルテのような形式をとっているからだろう。映画だけでなく、原作の意図も大切にしていると感じる。
表紙と裏表紙を除いて、記事や写真が入っているのは、52ページ中の実質24ページ。薄手マット紙のうえ、対向ページは空白、もしくはジヨンの娘がやったのかと想像させる子どもの落書きのような絵柄が入っている。
全体にフォントのサイズが小さく、老眼にはつらい。82年世代なら気にならないだろうが…。
キム・ジヨン世代の作家・山内マリコ氏(1980年生まれ)と原作小説の翻訳者・斎藤真理子氏のレビューは、SNSでも話題になった映画と原作の違いに対する反応への、それぞれの回答として示唆に富む。
映画はエンターテイメントであると同時に、しばしば異文化を理解する手がかりになるが、『韓国の社会的背景』『韓国女性監督事情』は、参考文献として公的機関のデータが明示されていて、資料として価値の高いものとなっている。それだけ映画のテーマに真剣に向き合っていることがわかる。
本文のアンダーラインや丸囲みに使っているマゼンタ色がアクセントカラーとして効果的であるだけでなく、カラーページとダブルトーン(2色)ページを違和感なくつないでいる。
▶︎82年生まれ、キム・ジヨン公式サイト
パピチャ 未来へのランウェイ
24ページ(カラー:24ページ)/142×230mm/平綴/746円+税
発行承認:株式会社クロックワークス 編集・発行:松竹株式会社事業推進部 編集:広瀬友介 デザイン:石井勇一
内容:イントロダクション/ストーリー/レビュー(テキスト:前田エマ)/キャストプロフィール/コラム(テキスト:佐藤久里子)/キャストプロフィール/レビュー(テキスト:金原由佳)/コラム(テキスト:私市正年)/ムニア・メドゥール監督プロフィール&インタビュー/コラム(キーワード解説(テキスト:井上里英香)り斎藤真理子、門間貴志)/クルー/クレジット
本編で重要なモチーフとなっている「ハイク(※1)」の上に、アラベスク模様をあしらった表紙。
本文は見開き単位で、さまざまなアラベスク模様のテキスタイルがフレームのようにあしらわれている。小口をずらすと、カラフルな布が重なり合ったように見えて美しい。持つだけでうれしい「ジャケ買い」を誘う魅力。ファッションをテーマにした作品らしく、ページを繰るのが楽しくなる工夫がある。作品そのものは重いが…。
パンフレットの扉に使われた“PAPICHA”のタイトルが目を引く。映画本編にはなかったと思うので、パンフレットのオリジナルだろうか。オーガニックな雰囲気は映画の印象とは違うが、アラベスク模様とは調和がとれている。
冊子単体として美しいし、映画の世界観を壊すものではないが、公式サイト、予告編やチラシに使われた赤ベタの帯や金文字のカタカナタイトルとは共通するものがない。というか、青春映画(そういった側面もあるが)のような印象を与えるサイトやキャッチフレーズ、チラシのデザインに少し違和感がある。その扱いでは軽くないだろうか…。
A5より天地が2cmほど大きく、左右が8mm短い変形サイズ。判型が小さい冊子の宿命ではあるが、これもフォントが小さめで、後半になるほどシニア世代にはつらい。アルジェリアの社会情勢の解説や監督インタビューなどは、ほぼ文字情報だけを詰め込んでいるため、もうひと工夫ほしかった。
※1ハイク:アルジェリアをはじめ、北西アフリカのムスリム諸国で1000年にわたって女性たちがが着用してきた伝統的な白い織物。シルク50%ウール50%で5メートル四方。アルジェリアの独立戦争の際には、まとったハイクの下に武器を隠し持っていたことから「抵抗の象徴」ともいわれる。
▶︎パピチャ〜未来へのランウェイ公式サイト
ブックスマート〜卒業前夜のパーティーデビュー
36ページ(カラー:10ページ、2色:24ページ、1色:2ページ)/表紙:部分ニス加工、擬似エンボス加工/(B5変形(182×238mm)/中綴/819円+税
編集・発行:ロングライド デザイン:大島依堤亜、中山隼人 印刷:株式会社セントラルプロフィックス
内容:イントロダクション/ストーリー/オリヴィア・ワイルド監督プロフィール&インタビュー/キャストプロフィール&インタビュー/キャストプロフィール/現代コメディ映画の系譜(テキスト:グッチーズ・フリースクール、イラスト:大本有希子)/コラム(テキスト:山崎まどか)/音楽紹介/コラム(テキスト:高橋芳朗、町山広美)/スタッフプロフィール/クレジット
こちらもノート形式だが、ふたりの主人公エイミーをイメージした緑の表紙とモリーをイメージした赤の表紙の2種類ある。なんと贅沢な。
黒のマーブル模様といえば、アメリカでは学生におなじみミード社のノート。いかにもガリ勉の主人公たちにふさわしい。
シールを貼ったように見えるところはニス引きで、製本テープの部分はニス引きして、さらに擬似エンボス加工を施した凝りに凝ったもの。
エイミー版しか持っていないけれど、違うのは表紙だけで中身はおそらく同じだろう(と、仮定して話を進める)。
本文のカラーページは巻頭巻末の4ページずつにも関わらず、2色印刷を3色以上に盛って見せている。印刷のアミ点をわざと大きくして、チープにならず、かえってヴィンテージ風に見える。青春の郷愁を誘ってうまい。
記事もアメリカン・コメディの系譜や大学とポップカルチャーの関係などオタク偏差値高めなところが、この作品らしい。
所有欲を満たすプログラムだが、映画の正式な日本語タイトルが表記されていない。高橋芳朗氏の音楽解説の本文冒頭に1ヶ所出てくるだけだ。
この作品なら『ブックスマート』で覚えるし、なくても客としてはいっこうに構わない。ただ、プログラムには保存目的もある。どんなにダサい邦題でも(実際、ダサい。笑)、奥付の原題の上に目立たないように入れておく配慮は必要で、その点だけは惜しい。
▶︎ブックスマート〜卒業前夜のパーティーデビュー公式サイト
ミッドサマー
40ページ(全ページカラー、P35のみ+特色1色(金)あり)/表紙:両観音/A5変形(表紙部分:142×210mm)/平綴/818円+税
編集・発行:ファントム・フィルム 編集協力:中村佑介 デザイン:大島依堤亜 イラスト:ヒグチユウコ(P34) 印刷:アベ印刷
イントロダクション/ストーリー/キャストプロフィール/クループロフィール/アリ・アスター監督来日インタビュー/エッセイ(テキスト:町山智浩)/『ミッドサマー』完全解析(テキスト:小林真里)/日本限定オリジナルアートポスター縮刷2種/クレジット
凝りに凝った装丁は、本編に登場するホルガの聖典ルビ・ラダーをイメージしていることは明白。そんな古書を思わせるランダムにカットアウトした本紙を、内側に折り込みのある表紙と裏表紙で綴じている。
こんな複雑な加工にOKが出たことにまず驚くが、読み進めていくと金インクを使用したページまであってさらに驚く。
ここまで思い切ったデザインを可能にするのは、デザイナーの力量に加え、クライアントや印刷・加工メーカーを含めた関係性ができているからだろう。すばらしいし、うらやましい…心から。
『TENET/テネット』同様、『ミッドサマー』も鑑賞後に解説が必要なタイプの作品だ。舞台はホルガという架空の村のため、その世界観を知らずして作品を理解することはできない。プロダクションノートや完全解析を読むと、ひとつの村の歴史も文化も伝統も、0から作り込まれた苦労がわかる(ただし、「完全解析」は公式サイト「観た人限定完全解析ページ」の抜粋。プログラムではルーン文字の解説など、いくつかの項目が省かれている)。
また、表紙と裏表紙には、映画冒頭に登場するタペストリーの絵が印刷されている。重要な意味を持つタペストリーだが、スクリーンに登場する時間は短いので、じっくり見られるのはありがたい。
話題になった日本限定オリジナルポスターの縮刷版が2パターンとも収録されている。よく1,000円以内の価格に抑えられたものだと感心する。
発売済みのUHD+BRも、このオリジナルポスター2種を使ったスリーブケースとスチールブックに収められている。解説リーフレットもプログラムのデザインを踏襲。これがブランディングというものだ。
勝手に決める「映画プログラム大賞」2021受賞作:ミッドサマー
…ということで、2021年度大賞は『ミッドサマー』です!
評価のポイントは、なんといっても徹底した世界観の作り込み。
ギフトショップで見かけたら、思わずジャケ買いしたくなる、圧倒的なビジュアルの力。映画を観た人だからわかる、さまざまな仕掛け。
寸評にも書いたように、『ミッドサマー』は背景が複雑なので、観た後にプログラムが必要になる作品ですが、これならふだん買わない人でも手に取りたくなるでしょう。
後でわかったことですが、このプログラムは各館で完売が続出して増刷され、高額な転売ヤーが現れるほど。リンク先のAmazonでは、いまだに安いものでも2倍くらいの価格になっています。
『ミッドサマー』は、本来ならホラー映画が苦手な女性客にアプローチして成功しました(わたしがいい例です、笑)。
洋画のプロモーションを成功させるには、コンセプトとは裏腹の主題歌をアイドルグループに歌わせて人気にあやかろうとするより、作品の世界観をファッションアイテムのように表現して、そのビジュアルを好む客層を振り向かせたほうが効果的なのです。デザイン戦略とかビジュアルマーケティングとは、そういうことだと思います。
プログラムの採点について、映画の内容や感想は反映していませんが、どれも良質な作品でした。良いプログラムが作られる作品は、クリエイターの制作意欲をかきたてるものがあるからでしょう。
改めて、ここで紹介できなかったものも含め、すべての映画プログラム制作に関わったクリエイターのみなさんに敬意を表します。まあ、わたしのような1ファンの声に、なんのメリットもないのが悲しいところですが…。
今年もまた、すばらしい映画とすばらしいプログラムに出会えますように!