人生は、クリエイティブ・ディレクション:50代からの「おしゃれの学校」

セリフでふりかえる『いだてん〜東京オリムピック噺〜』総集編

総集編も終わってしまいまして、いよいよ「あー、終わっちゃったんだなー」としみじみしているきょうこの頃。

 

総集編は、ダイジェストとかハイライトというよりは、47回分の素材をもとに1本の作品に構成し直していましたね。黒坂辛作役の三宅弘城さんが出演するシーンは総集編が初オンエアだったり、オープニングにドキュメンタリータッチな編集が行われていたりしいました。本編は見ていなくても、総集編だけは見てもいいかなという視聴者のために、初見でも迷わないように、時系列がすっきりと整理されていました。劇場公開用とは言わないまでも、スペシャルドラマのような仕立てになっていましたね。

個人的にはオリンピックに送り出すときの弥彦さんとお母さまのやりとりとか、金栗さんを東京に送り出すときの幾江さんとか、箱根駅伝の回の森山未來の二役とか、国立競技場の指揮室の窓に映る風船とか、忘れられないシーンがたくさんあります。ビジュアルは著作権的にあれなので、せっかくシナリオ完全版も出たことだし、印象的なセリフをたどって『いだてん』がどんなドラマだったかを振り返って、結びとします。



第一部 金栗四三編(第1回〜第24回)

総集編を観て、「そうか、これはこういうことか」とか「このとき、もうヒントは出されてたんだな」ということがたくさんありました。ほとんどのことは、すべて第1回にあったと。しかも第1声を放ったタクシーの運転手が重要なキャラクターとして後半に再登場するなんて思っていませんでした。

治五郎「私が聞きたいのは、楽しいの? 楽しくないの? オリンピック」(第1回 夜明け前)

宮藤官九郎さんの作家としての姿勢だと思うのですが、「おもしろいこと」「楽しいこと」が、作品のベースにあります。ご本人はスポーツには関心がないとどこかで発言されていたので、オリンピックはスポーツイベントというより、“大きなお祭り”の象徴なのでしょう。
おもしろいかどうか。『いだてん』は、全編を通してこの問いかけを繰り返します。おもしろいことができない社会はつらくて悲しい。口調は軽いけど、重いメッセージを含んだセリフに、この作品のエッセンスが凝縮されています。

 

スヤ「丈夫な体ば、お国のために使うか、自分のために使うか、決めるとは四三さんたい、自由ったい」(第2回 坊ちゃん)

「自由」という単語が、明治時代にどのくらいの重さを持っていたのか。スヤさんのような女学生がすらっと口にできるものだったのかわかりませんが、「自由」というキーワードが2回目にもう出てきていたんですね。これは金栗さんに向けられたものですが、女子スポーツの未来にもつながっていくセリフだったと思います。



大森「三島くん、短距離はタイムを競う競技だ」
弥彦「…はい」
大森「つまり敵はタイムのみ、一緒に走る選手のことはライバルではなく、タイムという同じ敵に立ち向かう同志と思いたまえ」(第11回 百年の孤独)

学生時代、短期間、陸上をやっていたので、弥彦ではないですが「もっと早く言ってもらっていたら、もっと楽になったと思います」(笑)。でも、この視点は「民族も人種もぐっちゃぐちゃな東京オリンピック閉会式」につながっていくんですよね。

治五郎「感服したよ。足の運び方、腕の振り方、スタートの切り方、練習法、見事にまとめてある。選手ばかりが主役じゃない。こういう繊細な仕事が、スポーツの未来を作るんだよ」(第13回 復活)

余命いくばくもない状況でオリンピックに参加した大森さんは、監督としてはほぼ機能しなかったのですが、大きな功績を残しました。バレーボールを日本に伝えた彼がいなければ“東洋の魔女”の金メダルはありませんからね! 目立つ人ばかりじゃなく、のちのち影響を与えた地味な功績にも光をあてられるのが1年という長いスパンをもつ大河ならでは。



富江「くそったれえっ!!」(第21回 櫻の園)

ヨーロッパで槍投げをしていた女子選手もドイツ語で「くそったれ」と叫んでたんですよね。

個人的に、『いだてん』のドラマ部分が俄然おもしろくなってきたのが、この回からです。それまではVFXの映像がすごいとか明治の衣装・風俗がいいとか、自分の趣味嗜好のツボにはまっていたので、そこに引っ張られて観ていた面もあったんです。

この頃の女子スポーツは、カウンターカルチャーだったはずなので、富江ちゃんはロックヒーローみたいでした。そうだな、人見絹枝がジャニス・ジョプリンだとしたら、富江ちゃんはグレイス・スリックかな。



四三「そりゃ男が悪か! 女子にゃ何の非もなか! 女子が靴下ば履くのではなく、男が目隠しばしたらどぎゃんです!」(第22回 ヴィーナスの誕生)

『いだてん』は、過去(明治〜昭和)を描きながら、同時に現代批評をしていたのが卓越していました。このセリフもまさにそう。「女性の側にも隙があったから性被害を招いた」という自己責任論を主張する人が女性のなかにも存在します。そう言う人は、女性が露出度の高い格好をしていたら、すべての男性は女性を襲うと考えるのでしょうか。そういう発想って、男性に対してものすごく失礼だと思うんですけど。


四三「思い上がっとったばい、東京が大変な時に、俺ぁなぁんもできん、わが無力ば痛感して勝手にしょげ返っとったばってん、そもそも人間は無力たい。だけん何も考えんで、今まで通り、バカのように走ればよか」(第24回 種まく人)

主人公なのに、金栗さんの印象的なセリフは意外と少ない…それは、金栗さんはしゃべる人じゃなく、走る人だからね! なぜ走るのか聞かれても「わからん」と答え、ただ「バカみたいに走る」ー金栗さんはもともとそういう人なんだけど、本人がそれを自覚した原点ともいうべき関東大震災について描かれました。このとき幾江さんに韋駄天が「人のために食料を集めて走った神様」と聞かされます。走るのが楽しいだけの「いだてん」から、走る使命を見出して「韋駄天」に変貌する回で、とても見応えがありました。




野口「我々はスポーツマンです、我々にできることはスポーツによる復興だけです」
「金栗みたいなこと言いやがって、見たまえ、自分の姿を、革靴と子供の草履片っぽずつ履いて、なにがスポーツによる復興だね、笑われるぞ!」(第24回 種まく人)

書いてて気づいたんですけど、クドカンの脚本ってすごく読みやすいですね。頭に入りやすい。わたし、中学、高校で演劇部だったんですけど、当時よりだいぶ固くなったアタマでも、これなら一発で入る。なんでしょう、リズムですかね、句読点の使い方も特徴ある。センテンスごとに切るんじゃなく、ひといきで読んでほしいとか。知らんけど。
それに独特の「おかしみ」があるんですね。岸さんのセリフ、愛を感じます、ツンデレ的な。そのもっとも特徴的なのは、あとで幾江さんが金栗さんを東京に送り出すときのセリフにもっと表れてますが。笑わせて泣かせるんですね。

24回は関東大震災後の復興運動会が描かれました。スポーツとか芸術とかファッションとかエンタメとかは、復興の一時的な助けにはなりません。でも、とにかく水と食糧が確保できて、からだを清潔に保って、睡眠をとることができたら、「それでもきょう明日を生きていくぞ」というチカラを湧き立たせるのに必要なんです。心の栄養なんです。
わたしはそれを神戸の震災で学びました。

クドカンは『あまちゃん』で東北の震災を、『いだてん』で関東大震災を描きました。満州や太平洋戦争にも向き合いました。戦争を経験していない世代のわたしたちは、戦争について「怖い!」「嫌い!」「イヤ!」としか言葉を持たず、失語症のようになってしまいます。声高に「戦争反対」と叫ばなくても、なぜ戦争をしてはいけないのかをエンタメとして楽しませて、考えさせることをやってくれた(!)作品でした。




第二部 田畑政治編(第25回〜第47回)

第二部のほうが印象に残ったセリフが多いのは、記憶が生々しいせいでもあるのですが。


評伝などを読んでいると、セリフが「ほぼそのまんま」だったりするせいでもあるんですよね。実際に放った言葉の強さというか。
しかもまーちゃんは、嘉納先生も言っているとおり、「口がいだてん」の人だから。


絹枝「『あなたに対する中傷は、世界へ出れば賞賛に変わるでしょう』。その通りでした。西洋では六尺なんか当たり前、女子がスポーツに打ち込むのも当たり前、むしろ誇らしいことです。(中略)
だから皆さん、勇気を出して走りましょう、跳びましょう、泳ぎましょう。日本の女性が世界へ飛び出す時代がやって来たのです!」(第26回 明日なき暴走)

これは銀メダルを獲得し、帰国してラジオに出演したときのセリフです。
もちろん菅原小春さん渾身の演技の「あの」セリフを取り上げようかとも考えたのですが、やはりあれは演技とセットだから心に刺さったと思うんですよね。

人見さんや前畑さんのような先駆者がいたからこそ、現代の女子スポーツがあるわけですが、これ、スポーツに限らないですね。どんなことでも「最初の一歩」を踏み出す人は風当たりが強いもの。人の噂や評価を気にして自分の行動に制限をかけてしまう人はいまの時代にも多いですが、実のところ「人の言葉」を言い訳にして自分に負けてるだけ。自分のささやかな「思い込み」こそが成長と変化を阻んでいたりするんです。

 

田畑「笑うなよ…日本を明るくするためだ」
松澤「…あ、ごめん、笑っちゃった(赤面)、だって、そんな急に、新聞記者みたいな顔して」
田畑「犬養さんが撃たれてから、新聞の紙面が暗い。不況、失業、満州問題。朝から暗澹たる気持ちになる。これじゃダメだ。言論の自由が奪われつつある今、誰かが明るいニュースを書かなくちゃダメなんだよ。で、考えたんだ。もし水泳が全種目制覇したらさ、オリンピックの期間中だけでも、明るいニュースを一面に持ってくることができるじゃんね。号外も出るかも知れないね。いや、出るね、だってもう書いてきたから。(第29回 夢のカリフォルニア)

それまでうざくてうるさいと思っていたまーちゃんに心をわしづかみにされたのがこのセリフでした。
「こうなったらいいな」と誰でも夢を見ることはできます。でも、それを行動に移して実現する人は少ない。「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」と言ったのは、パーソナルコンピュータの父、アラン・ケイですが、それをやってのけちゃったまーちゃんなのでした。

 

老人「田畑さん、今、初めて私はこの大道の真ん中で、堂々と、俺は日本人だと、大声で叫ぶことが出来る! こんな嬉しいことはないよ、俺は日本人だ‼️」(第31回 トップ・オブ・ザ・ワールド)

ドラマでは、このあと美味しいところを嘉納先生が持っていっちゃうわけですが、これはまーちゃんの評伝にも紹介されている実話で、生涯、なんども語っていたお気に入りのエピソード。前のセリフでも「日本を明るくしたい」と思ってメダル第一主義を掲げたわけで、それが叶ったことを直接聞かされたわけだから、そりゃあうれしいよねぇ。

みんなが口々に「日本人だ!」とか「日系アメリカ人だ!」とか「ヒスパニック系アメリカ人だ!」とか出自を叫んだシーンは白眉でしたね。日本人だけに矮小化しなかったところがとてもよかった。


辛作「…俺は嬉しいよ。日本人だろうが朝鮮人だろうがドイツ人だろうがアメリカ人だろうが、俺の作った足袋履いて走った選手はちゃんと応援するし勝ったら嬉しい、それじゃダメかね、金栗さん」
四三「よかです、そっでよかです! ハリマヤの金メダルばい!」(第35回 民族の祭典)

辛作さんは、アベベにマラソン足袋をプレゼントしますが、東京オリンピックではプーマのランニングシューズを履いて走るので、レース中はぶすっとしてるんですよね。ほんとブレない人だ(笑)。


日本人でなくても同胞を大事に思うのは、あたりまえの感情ではあります。ただ、自国愛が強すぎて排他的になってしまうと、行き着く先は戦争だから。


田畑「今の日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか?」(第37回 最後の晩餐)

このとき、まーちゃんは嘉納先生にオリンピックの返上を懇願します。こんな状態の日本でオリンピックを開催するのは、亡くなったクーベルタン男爵や岸さんやロスの日系人にも失礼だからと。でも、この頃の嘉納先生はかなり頑なになってるんですよね。この回で嘉納先生は亡くなられるのですが、死期を感じて「なんとしてでも」という思いが強くなっていたのかもしれません。

このセリフは最終回に至るまで、ドラマを観ながら自問することになります。1964年東京大会は成功しましたが、それから56年、この問いはそのまま、いまのわたしたちに返ってきます。


治五郎「これから一番面白いことを始めるんだ、東京で」(第37回 最後の晩餐)

これも最終回までつながっていくセリフですが、元をただせば第1回の「楽しいの? 楽しくないの? オリンピック」の延長線上にあるんですよね。ただ、嘉納先生、「一番面白いこと」とか「あっと言わせる」とか言ってはいるけど、具体案ってないんですよ。でも、まーちゃんにはイメージがあるんですよね。


田畑「副島さん、総理大臣に頼むんだったら戦争の方じゃないの? 戦争やめてくれって電話してくださいよ」(第38回 長いお別れ)

「ここでオリンピックをやっていれば、こんなことにはならなかった」ーそういう思いが、まーちゃんにはずっとあったはずです。まーちゃんの闘いをみて、わたしは「執念」を初めてポジティブに捉えることができました。この回は学徒動員の壮行会が描かれました。母はニュース映画で見た記憶があるらしく、とても怖くて悲しかったそうです。直感的に「みんな死んでしまう」とわかったから。

まーちゃんは壮行会で「万歳」をしません。そして河野一郎に「俺は諦めん、オリンピックはやるぞ、必ず、ここでな!」と言います。なぜかというと、嘉納先生が「一番面白いこと」をするために作ったのに、若い人を戦地に行かせる場所として使ってしまったから。彼らの追悼と鎮魂のために、そして贖罪のためにも「ここ」でなければならなかったんですね。


マッカーサー「(英語)いいか、少しの手心も加えるな、徹底的にアメリカをやっつけて来い! そうすれば、アメリカ人は日本人を尊敬する。アメリカとはそういう国だ」(第40回 バック・トゥ・ザ・フューチャー)

マッカーサーはスポーツマンだったので、実際にこのとおり言ったそうです。そしてまーちゃんは約束を守り、アメリカチームを完膚なきまでに叩きのめしました。

日本チームの活躍や国際水泳連盟への復帰には、アメリカチームのキッパス監督との友情がベースにあったようです。キッパス監督は日本チームを分析、研究し、現在に至る水泳王国アメリカの基礎を築きました。

ドラマでは描かれませんでしたが(写真がちらっと出ただけかな)、アメリカ遠征の際に尽力された日系人のフレッド和田勇さんご夫婦の協力も東京オリンピック開催には欠かせません。第40回は15年分くらい一気に進みました。どうも前半10回分でまとめないといけないところをまとめきれず、後ろにずらしたシワ寄せが後半にきたらしく。せめてあと1回あれば「もっと書きたいことが書けた」とクドカンがラジオで話していました。そのひとつがこの頃のかっちゃんとの水連での確執。和田さんとの交流や岩ちんとの出会いなんかも加えてほしかったですよね、ほんとはね。


田畑「アジア各地で酷いこと惨いことしてきた俺達日本人は、面白いことをやんなきゃいけないんだよ」(第40回 バック・トゥ・ザ・フューチャー)

で、ここにつながるんですよね。おもしろいことをして、おわびしなきゃならないんです。おもしろいことが、どうしておわびになるのか。そりゃ、平和でなくっちゃ、おもしろいことなんてできないからですよ!


田畑「名もなき、予選で敗退する選手ですら、生涯自慢できるような大会にしたい。共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人白人黄色人種、ぐっちゃぐちゃに交じり合ってさあ、純粋にスポーツだけで勝負するんだ、終わったら選手村で讃え合うんだ、そういうオリンピックを東京でやりたい」(第41回 おれについてこい!)

そう、まーちゃんには「一番面白いこと」のイメージがこの時点であるんですよね。そのベースになっているのが、ロスの選手村の経験です。あの当時は日系人や黒人に対する差別もありました。ロスでもできなかったことを東京でやりたい。その青写真が、まーちゃんのなかには1936年頃からずっと心の中にあったんだと思います。


河西「…私たちは青春を犠牲になんかしてない、だって、これが私の青春だから、今が、バレーボールが青春だから!」(第45回 火の鳥)

二階堂トクヨ先生は、人見絹枝さんにオリンピックで活躍して結婚もする。それができてこその女子スポーツの未来だと言います。
わたしたちがいま、あたりまえに享受していることは、先人の苦闘の結果です。『いだてん』は1967年までのお話なので、女子選手に対して「嫁に行け!」という言葉が投げつけられますが、2020年東京オリムピック噺があれば、嫁に行こうがいくまいが本人の自由だし、パートナーが同性であっても外国人であってもやっぱり本人の自由だというところにつながっていくでしょう。


田畑「いいか、よく聞け、小役人ども、アメリカにおもねって、原爆に対する憎しみを口にし得ない者は、世界平和に背を向ける卑怯者だ!!」(第46回 炎のランナー)

まーちゃんのいちばん痺れるセリフが、本人が実際に口にした言葉というのがふるっていますね。正確には新聞に寄稿した文章らしいのですが、まだ米軍が都内のあちこちに駐留していた時期にこう言うのはすごい気概というか、覚悟だったと思います。
ドラマのまーちゃんは、このとき麻の白いスーツでした。この頃、男性の夏のおしゃれというと、白い麻のスーツだったので、一張羅で身を引き締めたのもあるけど、これって敵陣に「白装束」で向かう侍の心意気なんじゃないかなと。
東龍さんとも仲直りできたし、よかったね、まーちゃん。

 

田畑「岩田くん、俺は…改めて君に礼を言うよ、ありがとう」
岩田「…」
田畑「最高だよ、俺のオリンピックが、みんなのオリンピックになったよ、ありがとう」(最終回 時間よ止まれ)

ドラマではこの会話の前に嘉納先生の幻に「これがきみの見せたい日本かね」と聞かれ、お礼を言われます。その言葉をそのまま岩ちんに返すんですよね。まーちゃんが亡くなったあとに出版された追悼文集『人間 田畑政治』には、岩ちんの寄稿文があって、このまんまの会話が出てきます。

オリンピックはどこで開催しようと、結局はその国を世界に見せることです。2020年の日本は、胸をはって世界に見せたい日本でしょうか。
ドラマのなかでまーちゃんが「もし嘉納さんなら」と考えたように、わたしも「もしまーちゃんなら」と考えてしまいます。ただ、オリンピックという大きな話で考えると「お国のこと」「関係ない」と受け止めてしまうかもしれません。

違う! そう!
それはそれとして、スポーツマンがスポーツでしか自己表現できないように、いまの自分の立場で、できることをすることが最高の自分を生きることだと思いませんか。

いまの自分は自分らしい自分ですか。

「これがきみの見せたい日本かね」の問いかけの底には、そういう意味も含まれているように感じました。この問いは一生つきまとうことになるんだろうな。
間違いなく、ここ数年で最高のドラマでした。
ありがとう、ほんと『いだてん』最高じゃんねぇ!

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