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「おもしろいこと」やろうぜ!〜『いだてん〜東京オリムピック噺』第40回 バック・トゥ・ザ・フューチャー

大河ドラマ『いだてん』ブログをお送りしています。


時間は飛んで、1959年。いよいよ次回のオリンピック開催国を決めるプレゼンが目前に迫ってきました。が、最終スピーチを託されていた北原秀雄が怪我で出席できなくなり、ピンチヒッターとしてNHKの解説委員である平沢和重に白羽の矢が。オリンピック開催に反対する平沢は固辞しますが、まーちゃんは説得のため、オリンピックにかける想いを語ります。その長い話は、終戦後、焼け野原になった神宮から始まりました。

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第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ご覧いただきありがとうございます。 「新しい東京をアピールするんだよ」 「よーい…どんっ!」 「…奥さん、田畑の夢は、田畑一人の力ではかなえられないんです、どうか力を貸してください」 「そこだよ、そこー!」 「…おもしろいことなら、やらせていただきます」 * #いだてん #バックトゥザフューチャー #田畑政治 #阿部サダヲ * #五りん #神木隆之介 * #田畑菊枝 #麻生久美子 #東龍太郎 #松重豊 #東照子 #筒井真理子 * #平沢和重 #星野源 #岩田幸彰 #松坂桃李

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<あらすじ>
1959年。東京オリンピックの招致活動が大詰めを迎えていた田畑(阿部サダヲ)は、東京都庁にNHK解説委員の平沢和重(星野 源)を招き、きたるIOC総会での最終スピーチを引き受けるよう頼みこむ。断る平沢に対し田畑は、すべてを失った敗戦以来、悲願の招致のために全力を尽くしてきた自分の「オリンピックばなし」を語って聞かせる。それは、戦後の食糧不足の中、浜松で天才・古橋廣之進(北島康介)を見いだすところから始まる──。NHK公式サイトより)

本題に入る前に…

前回の物語は、ほぼ満州で展開。しかも先週はラグビーW杯中継のため、1回おやすみ。区切りをつけて、いよいよ今回から1964年東京オリンピック開催に至るもろもろに話が移ります。で、戦後から1959年までの約14年間をざーーーっと駆け足で紹介しちゃったのが今回でした。

裏オリンピックと古橋広之進とか、まーちゃんの政界進出ならずとか、掘り下げればおもろいことがいっぱいありそうなネタをさらっと飛ばすなんて、もったいなーい。
北島康介選手は、もしかしたらこのセリフを言わせたいがためにオファーしたんだろうか。


ただ、このひとことで、古橋広之進は、わたしたちの時代の北島選手だということは充分にわかりました。そして北島選手、クロールもかっこいい。

それにしても、オリンピックって「やる!」と決まってからが大変なんですよね。いろいろあったことは想像に難くありません。だって、2020年はマラソン札幌でやると決定、ただし都知事は合意しないけど反論もしないって意味わかりませんから>イマココ。

ということでいま、手元にないのですが、今回、第1回の冒頭に戻ってきたわけです。いやー、未来におかえりなさい。

天の配剤

なにかがうまくいくときって、あらかじめそう決められていたかのように、ものごとが進んでいくことがあります。
かつて旧国鉄が優先席を導入した際、新幹線に使用した銀色の布地がたまたま余っていたために、これを使用して一般座席と識別しました。その色から「シルバーシート」と名付けられたのですが、もし、余っていた布がオレンジなら「オレンジシート」、ピンクなら「ピンクシート」になっていたはず…と、NHKの『チコちゃんに叱られる!』で知りました。

いやいや、シルバーシート以外、考えられないでしょう。

さて、1964年東京オリンピック開催は多くの人々の尽力によるものですが、決め手となったのはIOC総会での平沢和重の最終スピーチといわれています。
彼が長年IOCに尽力してきた嘉納治五郎の最期を看取った人物であったことや15分で簡潔に時事を紹介する番組を担当してきたこと、スピーチを行う予定だった友人の北原秀雄が怪我をして渡欧できなくなったこと、小学校6年の娘の教科書に『五輪の旗』が掲載されていたことなど、どれひとつ欠けてもこの結果にはならなかった可能性があります。


そのたいせつなスピーチを、第1回で聞いてるんですよね。そのときといまとでは、感じ方がまったく違います。そしてそれを平沢さんが話すから伝わるということも。
『いだてん紀行』で磯村尚徳さんがこう言っています。


天の配剤かと思うぐらい理想的な配役で出てきたことに、私は何か偶然と必然とがまざったような運命の不思議さを感じますね。
(NHK「『いだてん紀行』第40回平沢和重と磯村尚徳さん」より

 

なぜ大河ドラマに「笑い」を持ち込んだのか

『いだてん』が大河ドラマらしくないということは、いろんなところで語り尽くされています。わたしはまったくそう思わない。それどころか大河ドラマでなければ描けない作品だと思っています。本作のテーマは「戦争と平和」であり、それを象徴する題材として「オリンピックとスポーツ」が選ばれました。

「戦争と平和」、「オリンピックとスポーツ」、これらをつなぐのが「おもしろいこと」。
治五郎さんも、まーちゃんも、平沢さんも「おもしろい」から、やる。これでつながっています。

なぜ「おもしろいこと」なのか。今回、まーちゃんが説明しました。


歓迎されてると思った自分を恥じたよ。我々が平和などおこがましい。彼らにとって戦争はまだ終わってなかったんだ。
(中略)アジア各地でひどいことむごいことしてきた俺たち日本人は面白いことやんなきゃいけないんだよ!


ひどいこと、むごいことをしてきた償いが、なぜおもしろいことになるのでしょうか。それは、ユーモアこそ死の苦しみや悲しみをやわらげる妙薬だからです。

たとえば終末医療に「笑い」を取り入れるホスピスがありますよね。『ユーモアは老いと死の妙薬』の著者、アルフォンス・デーケンさんは、終戦後、眼前で反ナチ運動に命をかけてきた祖父が、連合軍の兵士によって射殺されるという不条理を体験。来日して、上智大学で長く教鞭を取り、日本に死の哲学「死生学」を普及させました。80歳を超えた現在も、精力的に講演をおこなっておられます。
そのデーケンさんの死生学のエッセンスを、やや乱暴にひとことでまとめれば、「ユーモアは動物にはない人間だけのもの。ユーモアがあればあるほど人間らしく生きられる」ということ。


ジャーナリストのノーマン・カズンズさんも『笑いと治癒力』のなかで、医者も見放した膠原病をユーモア療法で克服したことを紹介しています。たとえば10分間、おなかをかかえて大笑いすると、すくなくとも2時間は痛みを感じないで熟睡できたと書いています。
これはチャンピオンケースかもしれません。でも、お金のかかる特殊な治療と違い、笑いやポジティブな気持ちをもつことにお金はかかりません。


『いだてん』が大河ドラマに「笑い」を持ち込もうとしたのは、そういう理由だとわたしは思います。
大河として『いだてん』が異色なのは、主人公が2人いてリレー形式だからでも、近代史だからでも、登場人物がやたら多くて、時代が行ったり来たりする構成の複雑さにあるわけじゃない。「おもしろいこと」、すなわち「笑い」をドラマに持ち込んだからです。落語は「笑い」を具体的に表現する手法です。ときには落語の展開のままにドラマが進み、さげと物語が重なる。日本のオリンピック黎明期から1964年の東京オリンピックまでを壮大な“噺”として描こうとしています。


令和になっても自然災害が続いたり、子どもを指導する立場の教師がいじめを繰り返したり、世界遺産の首里城が焼失したりと、悲しいニュースを目にしない日はありません。炎上を恐れて、美術展示や映画上映が中止されたり、税金の申告を忘れたタレントのために番組を再編集したりする。みんななにか忘れてませんか。

笑いですよ、ユーモアですよ。もっとチカラ抜きましょうよ。

そこがこのドラマのキモだとわたしは思っています。でも、この視聴率を考えると、そこをいちばんわかってほしい人たちは、きっと裏番組を観てるんでしょうねぇ。

プレゼンは準備で決まる

平沢さんのプレゼンには1時間与えられていたそうですが、15分で終了。それは、ご本人が15分で時事解説をする番組をレギュラーで持っていたからで、日頃から伝えたいことを簡潔にまとめる訓練をしていた賜物です。

わたしも広報などの仕事柄、プレゼンは日常です。プレゼンについてもろもろ心がけていることはありますが、そのひとつに「現物」を使うことがあります。たとえば、小学校6年の国語の教科書といえば、その現物を見せることです。100人規模の会場だとスライドで見せる必要がありますが、手に現物を持って見せることで信憑性と説得力が上がります。『五輪の旗』は、クーベルタン男爵のオリンピック精神について紹介した文章です。これを学校で学んでいると知れば、IOC委員に刺さらないはずはないでしょう。

平沢は「スピーチに必要なのは90%の分かりやすさと10%の驚き」と信じていました。IOC委員は「平和を願うオリンピックの精神が子どもたちにも根づいている」と、驚きました。
『これで負けるようじゃ、よっぽど俺のプレゼンテーションが下手だ』と、平沢さんは盛んに言っていました。
(NHK「『いだてん紀行』第40回平沢和重と磯村尚徳さん」より


プレゼンの着想は、検索したり、探して見つかるものではありません。日頃からアンテナを張って、いろんな現物を見て、ふれて、知っておくことが準備につながっていきます。そう言ってしまうと、プレゼンする人にとっては、人生まるごとプレゼンだし、プレゼン準備ということになりますが。


今回のサブタイトル/バック・トゥ・ザ・フューチャー

今回に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というタイトルがつけられたことも、とても興味深いです。



1985年から90年にかけて、シリーズが3本つくられました。もともとは1話完結のはずが、映画の大ヒットでトリロジーになったようです。
わたしは3本ともリアルタイムで映画館で観ましたよ。3回ともデートだった。

当時つきあっていた人が映画新聞の仕事に関わっていて、映画製作の裏話をいろいろ教えてくれました。その新聞、わたしも読んでたので、そこに書いてあるんだけどさ。

じつはマイケル・J・フォックスに決まるまで、紆余曲折あったようです。マイケルはわたしも好きだったドラマ『ファミリー・タイズ』に出演していて、この役はオファーされませんでした。そこで、エリック・ストルツがマイケル役で撮影が進んだものの、5週間後に役を降ろされてるんですね。
相手役のクローディア・ウェルズも一度役を降りて復帰。小柄なマイケルといじめっ子で大男のビフ役トーマス・F・ウィルソンの身長差は、画面上でも笑いのツボのひとつですが、彼は長身のエリック・ストルツとバランスをとるために起用され、そのまま残留した模様。最初からマイケルなら、違う俳優が演じることになっていたようです。

いまとなっては、この配役以外考えられない作品ですが、成功する作品はどんなに問題が起こっても、不思議と必ずうまくいく方向に流れていくような気がします。よく「チャンスの神様は前髪しかない」と言いますが、わたしはチャンスの神様は、ここぞというときは意外と待ってくれるような気がしています。天の配剤というのは、つまるところ、自分を信じ、まわりを信じることなのかも。


さて、この映画でわたしがいちばん好きな、1955年にタイムスリップしたマーティが指をケガしたギタリストのかわりに、アンコールで演奏するシーン。
ギタリストはチャック・ベリーのいとこのマーヴィン。「新しいサウンドを探している」チャックに電話をして、1985年からやってきたマーティの演奏を聞かせます。チャックはこれにインスパイアされて、名曲“ジョニー・B・グッド”を作曲するというタイムパラドックスになっているのでした。



チャック・ベリーは一昨年、90才で亡くなりました。
80代も現役で活動を続け、90才の誕生日に38年ぶりの新曲をリリースすると発表。残念ながら本人存命中には間に合わず、亡くなった3ヶ月後に発売になったのですが。



チャックが亡くなった翌日のニュース映像。wikipediaのこことかここの内容ですね。



ロックンロールの生きる伝説は、ついにほんとうの伝説になってしまいました(泣)。

ロックの伝説的人物というと、ジミヘンとかジャニスとか「27才クラブ」に代表される、若くして亡くなったアーティストを思い浮かべる人が多いでしょう。映画化されるのも、フレディ・マーキュリーのように故人が多い。
もちろんわかるし、わたしも彼らが大好きだけど、お手本にはならないんです。

チャックを大尊敬しているキース・リチャーズがまるでお子チャマみたいにかわいく見える『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』を観ていると、いつまでも元気でいきいきと生きる秘訣は、自分にとって「おもしろいこと」を一生現役で追求しつづけることだと確信します。



チャック・ベリーやジェームス・ブラウンのように、スケジュール帳に次のライブやレコーディングの予定のメモを残して死にたいものです。きっと誰かが遺志を継いでくれるでしょう。遺産は残せませんが、ユーモアは残せるように心がけています。

次回は『おれについてこい!』
バレーボール大松監督の名セリフで映画にもなりました。そのままオンエアして「1分削りました」と言っても視聴者は誰も観ていないのでわかりません。文句をつける人はそもそもドラマを観ていないので、どこからもクレームは来ないと思うぞ!(笑)


参考:
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』タイムパラドックスが抜群にハマる「ジョニー・B・グッド」誕生の瞬間!(CINEMORE 1994年4月2日)
オリンピック招致と文京の地 (筑波大学体育系 真田 久教授/筑波大学オリンピック・パラリンピック総合推進室)

おまけ:今回めっちゃ好きたった#絵だてん

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