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想像してごらん〜『いだてん〜東京オリムピック噺』第38回 長いお別れ

大河ドラマ『いだてん』ブログをお送りしています。


日中戦争はますます激化し、フランスとイギリスは東京オリンピックのボイコットを決定。日本もついにオリンピックを返上します。小松勝は増野の娘、りくちゃんと結婚。東京オリンピックが開催されるはずだった1940年、長男・金治(のちの五りん)が誕生しますが、太平洋戦争が始まり、学徒出陣で出征することに…。
一方、1964年、読売巨人軍の祝勝会の余興に呼ばれた志ん生は、高座に上がってすぐ、意識を失ってしまいます。




<あらすじ>
嘉納治五郎(役所広司)の死によって求心力を失う組織委員会。日中戦争が長期化するなか、1940年の東京オリンピック開催への反発は厳しさを増していく。追い詰められたIOC委員の副島(塚本晋也)は招致返上を提案するが、嘉納に夢を託された田畑(阿部サダヲ)は激しく葛藤する。金栗(中村勘九郎)の弟子、勝(仲野太賀)はりく(杉咲 花)と結婚するが、戦争が2人の将来に立ちはだかる。同じころ、孝蔵(森山未來)は志ん生を襲名する。NHK公式サイトより)

戦争を知らない子供たちの子孫たち

わたしが10歳の頃「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットしました。いまや戦争を知らない子供たちの孫が誕生する時代です。わたしもそのひとりですが、戦争を観念でしかとらえられない人が増えています。

ストレートに「戦争反対」と叫んでも、響かないのはそのせいかもしれません。だから、以前紹介した社会人1年生ちゃんのように、「日本なんかもう一度戦争で負けて、なくなっちゃえばいい」と軽く言える若い人がいるのでしょう。そもそも戦争が起こったらどうなるかということを想像できないのです。

だからなのか、『いだてん』も決して声高に反戦を唱えません。今回(たぶん)初めてじゃないかな。まーちゃんが副島さんに「総理に直談判するんだったら、オリンピックじゃなく戦争やめてでしょ」と言います。続けて「オリンピック期間だけでも休止できないかな」と言いますが、実際、第一次大戦中の1914年に英軍と独軍の間でクリスマス休戦が行われたりもしているので、まーちゃんの発言は「反戦」とも「休戦」とも受け取れる微妙なものです。



とはいえ、作者の宮藤官九郎だって戦争を知らないし、まーちゃんを演じる阿部サダヲだって戦争を知りません。『いだてん』出演者にそもそも戦争体験世代がいない。
四三の祖母役だった大方斐紗子(1939年生)と三島弥彦の母役だった白石加代子(1941年生)くらい。もうそういう時代なのね。

じゃあ、体験していなければ想像できなくてもしかたがないのか。違うよね。わたしはよく言うんだけど、なんでも体験しなければ語れないというなら、ミステリー作家は全員、殺人者でなければならないわけで
。人類は過去から学べるし、境遇の違う他人に共感できるし、想像力もある。

共感力も想像力もあって、勉強するから、作家にも役者になれる。
増野さんを演じる柄本佑が、出征直前の小松勝を迷いなく足蹴にするところなんて、娘を嫁に出す父親に対する想像力ないとできません。歌舞伎役者の七之助が噺家に見えるのも、想像力の賜物です。


テレビの弊害は、見る人の思考を停止させてしまうことです。テレビはとくに「わかりやすさ」を大事にするメディアですが、それは視聴者の「考える機会」を奪うことにもなるんです。だから『いだてん』は、視聴率が悪いんですよ。

かつて日本に無数にいた「小松勝」

四三と小松勝の関係は、治五郎さんと四三の関係に似ています。四三とスヤさんの関係は、小松勝とりくちゃんの関係にも似ています。
そう感じさせるシーンが何度も出てくるということはつまり、小松勝もまた、いだてんのひとりということですよね。もし、もっと早く生まれていれば、ストックホルムに行ったのは小松勝かもしれない。もっと遅く生まれていれば、東京オリンピックに出場していたかもしれません。

こんなにも四三と重ね合わせて、感情移入させておいて、クドカンは小松勝を出征させてしまう。 



これまで『いだてん』は、セリフのない登場人物はモノクロのドキュメンタリー映像で描いてきました。学徒出陣の映像は本来モノクロのはずですが、小松勝がいることによってカラーに着色されます。そこにいるすべての人は、「誰か」にとっての「小松勝」です。

もし、小松勝があなたの友人なら、恋人なら、夫なら、息子なら、孫ならどう感じますか。『いだてん』はそれを問いかけているのです。


第38回のサブタイトル/長いお別れ

そもそも『長いお別れ』がなんのことなのか。原題は“The Long Goodbye”。最初、主人公のマーロウと友人のレノックスの永遠の別れ、つまり「死」を意味するのかと思っていました。
そうではなくて「別れを言うのは難しい」、つまり「お別れするまでには長い時間がかかる」ということだったんですね。

じつは、「長いお別れ」でググると、チャンドラーではなく、中島京子の小説が先にヒットします。それで英語の“Long Goodbye(長いお別れ)”には、「認知症」の意味があると知りました。少しずつ記憶をなくしていくことで、ゆっくりと遠ざかっていくように別れることになるからだそうです。


さて、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズ。『長いお別れ』は、その第6作にあたります。
ハードボイルド小説には独特の世界観があります。クールな決めセリフが無駄にたくさんあって、この作品にも「『ギムレットにはまだ早すぎるね』と、彼はいった」とか「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」とか「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」とか「警官にさよならをいう方法はいまだに発見されていない」とか(いずれも清水俊二・訳)。



ひゃー、かっこえぇぇ!
小説ってこういう文章だよなあと思うんですよね。チャンドラーは作家に人気があるんです。同業者に「こんなふうに書きたい」と思わせてしまうんでしょうね。ロバート・B・パーカー、ロス・マクドナルドのような同じ分野の作家だけでなく、W・H・オーデン、イーヴリン・ウォー、カズオ・イシグロ、ポール・オースターなどなど、ジャンルの違う作家からも激賞され、憧れられているのです。

その文体は日本語に訳してもかっこいい。チャンドラーといえば、清水俊二さんの訳が有名ですが、双葉十三郎さん、田中小実昌さんも名訳で知られます。そして昨年、10年がかりでチャンドラーの長編7作すべての翻訳を終えたのが村上春樹さん。最初の翻訳が本作でした。



清水さんの訳がハードボイルドらしくて好きですが、細部までていねいな村上さんの訳の方が、原文のニュアンスに近いのかもしれません。21世紀の感覚に合わせてアップデートしたというか、修復が終わった絵画というか、デジタルリマスター版が村上版なのでしょう。

翻訳というものは、経年劣化からは逃げられない宿命を背負っている。僕の感覚からすれば、おおよそ半世紀を目安として、ボキャブラリーや文章感覚のようなものにだんだんほころびが見え始めてくる。僕が今こうしてやっている翻訳だっておそらく、50年も経てば「ちょっと感覚的に古いかな」ということになってくるだろう。ー村上春樹(『準古典小説としてのチャンドラー 村上春樹氏寄稿(下) 長編7作の翻訳終えて』より:2018年1月4日)


かっこいい小説のセリフは映画化する場合、そのまま使われることが多いですが、この作品を映像化した『ロング・グッドバイ』ではだいぶ割愛されています。ていうか、話、違うし(笑)。

督はロバート・アルトマン。舞台を映画制作当時の1970年頃に置き換え、探偵は出てくるけど推理ものではないし、チャンドラーの『長いお別れ』ではないんですよね。ただ、これはこれとして愛されていて、カルトムービー的な人気があります。

くわえタバコで、キャットフードを買う、くたびれたマーロウ像は原作とはかなりイメージが違います。チャンドラー自身が「理想のマーロウ像に近い」と評価するケーリー・グラントと本作の主演・エリオット・グールドの個性くらい違う。初めて観たとき、“The Long Goodbye ”はなくて“The Wrong Goodbye”だと思いました。ただ、変な人がやたらと出てくるアルトマン作品の系列のひとつだと思って観ると違和感なかったりして(笑)。

そして、日本でもチャンドラーの影響を強く受けている作家の矢作俊彦が、『長いお別れ』を下敷きにした『THE WRONG GOODBYE―ロング・グッドバイ』を発表。オマージュともパスティーシュともいわれる作品ですが、矢作作品には欠かせない二村永爾ものです。チャンドラーはハードボイルドの作家だけど、じつは推理小説としては文体ほど華麗ではないので、ある意味、本家より骨格がしっかりしたミステリーになっています。そこは後出しジャンケンの有利さと言ってしまえばそれまでだけど。

ちなみにわたしは1980年の『マンハッタン・オプ』以来、矢作俊彦の美文に痺れています。こんな文章が書けるなら、悪魔に魂を売ってもいいと感じさせる人はそういません。なかなか単行本にまとまらないのと、平成以降、単行本の装丁がつねに文体を裏切っているのが不満ですが。『新潮』に連載中の二村シリーズ『ビッグ・スヌーズ』も例によってあまり期待せずに完結を待っているところです…。


さて、次回のタイトルは『懐かしの満州』。
ネタが尽きない『いだてん』、次回もたのしみです!

※タイトル画像キャプチャ:NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』公式サイト


■参考:時代に翻弄された明治神宮外苑競技場(NHK『IDATEN倶楽部」2019年10月6日より)

 

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